sageszk's blog

笑顔とプリズムの煌めきを追い求めるブログ

仕事って適切に割り振られないものなのかね

最近、仕事をしていく上で、色々なことをひとりの人間が担当する事が多くて、それってどうなんだろう、と疑問に思いました。どう、というのが、良いのか悪いのかも判断付かなかったので、純粋にどうなんだろう?って疑問です。

昔の人は、百の仕事をするから百姓と呼ばれていた、って話から始めようと思って念のため調べてみたら時代に応じて言葉の意味合いが違うとのことで面倒くさそうなのでこの例え話は使わないまま進めます。完全に100%この部分無駄でした。

話を戻しまして。どんな仕事にもだいたい分割できる役割ってあると思うんです。適当に思いついたものですけど、カフェ店員、番組制作、スポーツ、鉄道、服飾、などなど。ライター、物書きにしたって、仕事として書くならほとんどの場合でクライアントがいるし、取材対象がいることもある。出版社や編集者がいることもある。僕がいま書いているのは趣味なので対象外です。

てなわけで、ひとりの人間が抱えられる役割ってどのくらいなんだろう、と言うのを考えてみます。例えば先ほども出しましたが、ライター。記者の場合。「ウェブにインタビュー記事を出す」だとして分割してみましょう。ざっと想像してみてください。僕の分割だと、インタビュアー、インタビュイー、執筆依頼者、文字起こし、記事執筆、スチル撮影、写真編集、メイク、取材場所提供者、記事編集、校正、マークアップ、公開作業、といった感じでしょうか。実際の現場だと、おそらくインタビュアー(文字起こし、記事執筆、スチル撮影、写真編集、記事編集、校正、マークアップ、公開作業)、インタビュイー、執筆依頼者(取材場所提供者)という感じになるはず。めちゃくちゃ圧縮されてるんですよね。

これに対して自分が思うのは、専業の方が質が高まるのではないか、という疑問。多分、それぞれの“パーツ”の質が高まるのは間違いない。ただ、僕の分割方法だと人件費が異常に高くなるのは間違いありません。それと、ひとつひとつの作業行程でそれぞれの人がそれぞれ思いで作業をしていけば、それだけ仕上がりのイメージがバラバラになります。聞き手はコミカルに聞いていたのに、写真は真剣な表情だけ撮ってたり。飲食店でもオーナーが健康志向、仕入担当が安さが第一で、シェフはきまぐれだったり。人が増えればその分意識の統一は難しくなります。

ということは、ひとりで多くの工程を抱えた方がいいのか?という疑問が出てくる。その人のアイデアや思考がそのまま反映されるので、作りたいもの、提供したいものがそのまま実現される可能性は高いはずです。ただし、この場合はすべての工程における技術が一定以上の水準を満たしていないといけない。健康志向のオーナーが健康食材を入荷したはいいものの、ぐっちゃぐちゃなやつしか出せなかったら意味がないでしょう。記事は書けても写真が上手に撮れないなら人に頼んだほうがいい。

仮に、全部できるスーパーマンになってしまったらどうなるのか。それはそれで人材としての需要が増えてしまい、会社員だったら社内プロジェクトに引き摺り回されて疲弊することもあるでしょう。技術の習得速度がはやく、ひとりに頼めば全部やってくれる、って感じな人として認識されるので需要は高まります。場合によっては「あいつはできるやつだ」と噂だけが広まって、誰も手助けしてくれなくなってしまうこともあるかもしれません。結局、頼まれる側としては無理だなと思ったら無理ですって断ったり、頼む側は特定の人に頼りすぎないような人員調整を随時行うといった地道な作業が必要なんでしょうね。

おそらく、人を企業に置き換えても、内製/外注がそれに該当するのではないでしょうか。プロジェクトに対して、どのような工程が発生するのかを把握した上で、社内で賄える部分と、外部から補ったほうが良い部分とがあること。そしてそれを適切に割り振ることができること。そういう事を考えてたりしたら、胃が痛くなったのでこの胃の痛みをおすそわけします。