sageszk's blog

笑顔とプリズムの煌めきを追い求めるブログ

その話題は大喜利ですか?

いつも、本題に入る前に適当な枕をくっつけているんですけど、今日は適当に書いていってたら本編相当になりそうだったので次回に持ち越すことにしました。まあ、こんなこと書いておきながら本当な何も用意してなくてごまかしてるんじゃね、って思われてもしょうがないですが、思ってもしょうがないことですやんか。という話が今回の枕。

以下、本題。

例えば、「にかっと笑ったおっさんの写真」があるとします。その写真をみて「この写真は何の写真ですか?」って聞いたらほとんどの人が同じ回答になると思います。国や人種を超えて、少なくとも笑顔や笑いの概念があり、おっさんに該当する単語がある言語圏であれば同じことを意味する回答が返ってくるはずです。

じゃあ次は「何故こういう表情をしていると思いますか?」という質問をしてみると、おそらく回答がまったく変わってくると思います。

・さっき1万円を拾ったから
・そういう表情をしろという指示を受けているから
・今朝久々に快便だったから
・先週あった出来事の思い出し笑い
・くしゃみをしていてこういう顔になったから
・元々そういう顔である

とかとか。適当な回答で申し訳ないが、こんな感じで多種多様な回答が飛び出てくることでしょう。これって、対象としている情報の中に明確な回答が含まれていないからだと思うんです。そのかわりに加わったのが“想像”。この“想像”がひとつ加わるだけで、回答が定まらなくなる、正しく物事の判断を下せなくなる、という話。高校国語の現代文の評論文問題が苦手な人、得点を取れない人がやりがちなミスである、文章から正しく物事を読み取ってないという事例です。

で、こうやって想像が挟まってしまう状況、これって結局なんなの、というと大喜利なんですよね。こんな感じの大喜利がはじまってしまうと物事を正しく把握できなくなってしまう。質問に対する回答をする、あるいはそういうやりとりを読むときに、想像が挟まっていないか、事実からのみ判断しているか、というのは意識したほうが良い点だと思います。何か会話を聞きながら「いま、大喜利になっていないか?」というのを常に気にしておくだけで、話のノリがわかって面白くなるかもしれません。

雑談も大喜利判別能力が同等の人間同士の会話が一番盛り上がるんじゃないかなあ、とか思ったりしました。