sageszk's blog

笑顔とプリズムの煌めきを追い求めるブログ

バーチャルな個人として生きる ​

バーチャルYouTuberというか、アバターの使い方などなどについてのお話。もう5000もいるとかいうバーチャルYouTuberですが、このバーチャルYouTuberってのの数え方もよくわからないですよね。

5000人?
5000体?
5000キャラ?
5000アカウント?
5000チャンネル?
5000概念?

数え方しかり、定義しかり、いろいろなことが曖昧なまま、そろそろブームから1年になろうとしているバーチャルYouTuber。今回は、バーチャルYouTuberやアバターについてちょっと考えてみます。

そもそもの話として、バーチャルYouTuberの語源は、バーチャル(仮想の、事実上の)キャラクターによるYouTuber。YouTuberって呼ばれる人たちは広い意味でYouTubeに動画をアップロードしている人、という意味で間違いないでしょう。狭義の解釈では、動画からの収益で生計を立てている人、ということになりますが、僕らが日常的に口に出すときの定義はおそらく後者の収益を出している人たちになると思います。ヒカキンやはじめしゃちょーなどのUUUM勢や、ゲーム実況の人たちだったり。僕らの知らないたくさんの人達が動画で生計を立てていることでしょう。

一方、バーチャルYouTuberと自称、他称する人たちの大半は動画で生きていく段階にありません。5000人の中には収益は得ている人も大勢いますが、その大半がお小遣い程度でしょう。というわけで、現状では、ほとんどのバーチャルYouTuberは動画を作ったり、配信をしたり、そんな活動をする時間があればバイトしてたほうがよっぽどお金になります。そんな段階でもバーチャルYouTuberと呼ばれているということは、バーチャルキャラクターの動画でお金を稼ぐ人たちがバーチャルYouTuber、ではないと言えるでしょう。

じゃあなんなんだ、ってなると難しいのですが、例えば、YouTuberは事務所に所属などしつつも動画の撮影・編集などはほとんどYouTuber本人がやっていると言われています。これがいわゆるYouTubeクリエイター、などと呼ばれる要因かと思われます。バーチャルYouTuberは、大きく分けて複数人で運営するものと、個人で運営するものに分けられます。複数人で運営するものは、分業のため表で目立つ人とは別の人が編集している可能性が高い。逆に個人のものはおそらくほとんどが本人で、一部近しい人間と活動していることも考えられます。このアウトプットの方法を考えてみると、個人のほうが源流のYouTuberに近いですね。

と、他にもいろいろ考察の余地はあるのですが、バーチャルYouTuberとはなんぞや、という話の解決方法として、もはや“バーチャルYouTuber is キズナアイ”で、キズナアイとそれ以外、くらいの分類過激派でもいいような気もしてきます。そうすることで何かから解放される人、結構いるのではないですか? いまは、とにかくキャラクターっぽいモノに声を当てたり、字幕をつけたりするものすべてがバーチャルYouTuberなどと呼ばれています。これからもアバターを使った活動全般をバーチャルYouTuberと呼ばれ続けてしまうと、人口は増えていくように見えますが、その人口ピラミッドの最下層には活動を辞めてしまったキャラクター達が死屍累々なわけです。何かを始めるときに、頂点がある、トップを目指す、というのは大いに結構なのですが、なにもアバターがあるから必ずしも芸能活動をしなきゃいけないわけじゃあないと思うのです。僕は、これからの社会は、もっとアバター持ちの人たちが柔軟に活動できる形になれば良いなと思っています。

例えば『バーチャルキャスト』を使った配信などみていると、個人が個人として、姿だけバーチャルなアバターで配信しています。ハンドルネームを用いて活動している個人が、番組枠を立てて配信をして、そこには他の人がコメントしてきたり、他のアバターが番組に参加しにきて一緒に会話したり。バーチャルな個人同士のやりとりがそこにはあります。いま観測できる範囲では、これが最も気軽なアバター社会の未来なのかなと思います。従来型のようにキャラクターの設定を練って、その通りに演じていくのも楽しいとは思います。ただ、設定を作るのに膨大な時間がかかった割には受けなかったり、設定の不備で時には叩かれたり、設定を守ろうとするが故に本当にやりたいことが出来なくなってしまったり。そんな事してても楽しくないでしょう。無理してなりたくもない美少女になって、出来もしない演技をしながら生放送でコメントと交流する、これは下手すると罰ゲームですよ。

一応、僕はキャラクターのロールプレイ自体は可能性があると思っています。なにをどうしたらいいかわからないという人の活動の指針にもなるので、多少の設定は意味があると思います。要は、キャラクター設定という名目で自己紹介が出来れば良いということです。他にも、ヘッドマウントディスプレイを装着した状態で自分がアバターを着ると、自分の見た目だけじゃなく、視界も、周りからの見え方や対応も全部がそのキャラクターに応じたものになるので、心理面に大きな影響があると思ってます。性格改善とか、鬱の治療とかにも何かしら関わってこられそうな気がしているので、えらいひとがんばってください! もっと言うと『Vカツ』でのキャラクターメイキングも絡めた、自己分析ワークショップなど出来そうな予感すらありますが、これはこれで別のお話。

余談を挟みましたが戻りますね。

ってな感じで思っているので、下記に3点、これからのバーチャル活動についての提案を書いてみます。

美少女じゃなくてもいい
ロールプレイじゃなくてもいい
単一アバターじゃなくてもいい

それぞれ、軽く説明します。

美少女じゃなくてもいい

人間、多くの人は美しいものが好きです。ただ、人が美しいと思うものには個人差があります。なので、いわゆるアニメ調の美少女が好きな人ばかりではありません。特撮ヒーローになってもいい、怪獣になってもいい、ロボットでも食器でも野菜でもなんでもいい。なりたいものになって動けばいいと思います。

ロールプレイじゃなくてもいい

なりたい見た目になったら、そこからはご自由にどうぞ。「この子はこういう子で」とやりたい場合はやっても良いけど、必ずしもやる必要はないです。Twitterにつぶやくように、友達と電話するように、Skype通話を楽しむように、そんな感じで振る舞えばよろしいかと思います。

単一アバターじゃなくてもいい

飽きたら着替えればいい。制服と私服、冠婚葬祭とライブ会場、まったく別の服装でも1人の個人として問題がないのと同じようにアバターも着替えればいいと思います。友達とゲームをするアバターも、お忍びデート用のアバターも、勉強に打ち込むアバターも、全部中身はあなたです。問題ありません。

こんな感じの指針を立ててみました。近しい考えの人もいるでしょうし、こればっかりは賛同できねえ、という人もいると思います。先述した、収益を目的としたものとははっきり区別したほうが良いと思いっており、タレントではないバーチャル活動が実現できると良いと思ってます。

バーチャルキャラクターによるタレント活動は、それはそれで少しずつ需要が広まってきていると思います。昔から教育番組にキャラクターが使われていたように、キャラクターを通じて情報を得る事自体は新しいことではありません。それがバーチャルになった時にどこまで拡張し得るのか、どこまで受容され得るのか、その辺りは手探りになっていくと思います。僕などはもう受け入れきっている上に、積極的に観たいとさえ思うので、バーチャルキャラクターの出演情報があれば教えてくれと思うばかりです。

個人バーチャルYouTuberの存在が示している通り、僕らもバーチャルな存在になることは技術的にも安価で可能になりました。望めば誰でもいつもと違う姿に変わることが可能になりました。これが広まっていくとき、バーチャルな存在全員が揃ってタレント化を目指していく競争社会はどう考えても息苦しい。そうならないためにも、バーチャルな個人としてイキっていく、もとい、生きていく選択肢を提示したく思います。バーチャルパーソンとか、バーチャルパーソナリティとか、そんな概念で広まれば面白くなっていくのではないでしょうか。